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KOHコウ
このブログの筆者

こんにちは! KOH(コウ)です。

農業地域に生まれ育ち、一旦は国家公務員として就職して何年も地元を離れたことがありましたが、結局はUターン転職して数十年サラリーマン生活を経験。父親から稲作を継ぎ、少し前に脱サラ~給料生活に別れを告げ本業として農業に就きました。本来なら定年退職まで残り何年もあったので、まだまだ安定収入確保が必要な50代です。今の農業情勢にもいろいろ不安は募ります。

夢をかなえての「人生の楽園」みたいな華々しい話ではなく、田舎や農業の良いところ、じゃないところ、プラスαの出来事など、リアルな目線で農業や地域の行方も見据えながら思い付きで綴ります。

ヤマハ400㏄のオートバイを長々と車庫で眠らせており、車体が不調にならないように年に数回エンジンを回すためだけに周辺を流すのがやっとです。乗る乗らないに関係なく今年も費用の掛かる車検が待ち構えていて、いつかまとまった休暇を捻出して数日でも気ままな旅にでも出てみたいと願う貧乏暇なしスタイルです。

農業だけに固執せず、各種資格等の取得を通して自他のために役立つ多様な知識も身に付けたい‥そんな心構えも持っていたいと思います。

主な保有資格は、宅地建物取引士、FP2級、日商簿記2級、証券外務員一種、大型特殊運転免許、大型自動二輪運転免許、危険物取扱者乙種4類、安全衛生管理者、フォークリフト運転など

脱サラし農業と田舎暮らしを始めて良かった事、悪かった事 ー6選ー

数年前に、永年勤務した職場を中途退職し、亡くなった親の跡を継ぎ稲作を中心として就農しました。脱サラ後にいろいろ苦労もありますがここでは自分の進路選択により現時点で良かったと思える点と悪かった点を挙げてみたいと思います。ただ、ここでいう田舎暮らしについては、俗に言う「人生の楽園」に多い例のようなサラリーマンを定年満了してUターンやⅠターンによりお店を開店させ地域の方々との交流を得たり、第二の人生を田舎で謳歌するようなドラマチックなものではなく、ここで生まれ育った生粋の地元民そのままの田舎暮らし(地元の生活)での感想ということになるので見る方によっては参考になるとも言えないかもしれません。

目次

良かった事 6選

  1. 自分の心に基づいて働き、生活できる
  2. 自分や身近なことを大切にするようになり家族と過ごす機会が増えた。
  3. 自分の都合に合わせた時間で行動できるようになり自由を感じる。
  4. 地域や近所の人々との対話が増え交流が深まった。
  5. ストレスから解放され自然環境の中でリラックスして仕事ができる。
  6. 創意工夫と無駄なものの廃止によりコストの見直しに取り組めた。
1.自分の心に基づいて働き、生活できる。

 以前は、勤務先での業務状況に余裕がなく自分の全ての中心に仕事の課題や期限が居座っていて、俯瞰的に物事の本質を考える余裕もなくただ時間に追われていました。当然仕事の意義や良し悪し等について熟考し創造的な発想を行える余裕を持ち合わせていませんでしたし、多大な残業だけを繰り返し誰のために何のためにやっているかの意義も失いかけ立ち往生していたようにさえ思います。当然自分自身の為の生活も二の次で色んなことを置き去りにしてきました。

 今は、物事をじっくり考える余裕が生まれ、本当にやりたいことを探しそれを実現できる可能性が広がり自分の存在意義が明確になっていくことを少しずつ感じられます。事業の方向性を決めるのも作業スケジュールを策定するのも自分次第、自分の農業をどうしていきたいとか地域の活性化のためにはどんなことが出来るかとか、これからどんなライフスタイルを思い描くかとか。もちろん周りの人を変えることは難しいですし先ず自分がどう行動していくかということに他なりません。環境や資金面等から考えても簡単に進むものではありませんが、今では自由に考えられる環境を手に入れました。

2.自分や身近なことを大切にするようになり家族と過ごす機会が増えた。

 勤務先の仕事優先で生活してきたため残業や休日出勤が恒常的で、家族に対してもそれが当たり前であるような風潮を醸し出していました。「役職的な立場もあるんだから仕方ないだろう」的な‥物事を客観的に見れなくなり勝手に仕事に没頭していたのかもしれませんがほぼ子育てに協力しなかったのも事実ですしプライベートでも全くサービスできなかったり、ただ仕事にさえ向かっていれば何とか社会的責任を果たしているようなそんな思考に陥っていたのかもしれません。

 今は子供もだいぶ成長してしまいました。まだギリギリ間に合ったのかそれとも間に合わなかったのか分かりませんが、脱サラして農業になってから基本的に毎日朝晩家の中にいますし顔を合わせ会話することも増え、相談や頼まれごとも受けそれに対応する時間的な余裕もあります。休日には一緒に食事やレジャーに出かけることも増え今さら家族の一員に戻してもらっているような実感すらあります。「こんな生活が本来当たり前だったもかもしれない」そんなことを思いながら、子供の小さい頃の成長にほぼ寄り添わずに見届けてこれなかったことへの後悔が先に立ちますが、遅くないと信じて自分の今の進路選択が正しかったと確信できる後押しとなっています。

 またこれまで不義理になっていた親戚や知人などを自ら訪れたり対話したりと、心と時間にゆとりを持てたから関係性が良くなった点があります。

3.自分の都合に合わせた時間で行動できるようになり自由を感じる。

 農業は自由業です。もちろん作業的なスケジュールに追われることも多々ありますが、自分で仕事をやりくりさえすれば私用でも会社や上司の目を気にしたりすることなく必要な行動を行うことが出来ます。余裕ができ空き時間があれば家周りの仕事をしたり家族に頼まれれば車での送り迎えにも対応できます。なかなか平日しか行くことの出来なかった行政手続きや参加したかった講習や説明会、自己啓発に関することへの参加も可能になってきました。農業とは言えだらしなく行動してしまうのは望ましくないので一定の規則正しい勤労形態を維持していますが、会社組織などの規則に縛り付けられ勤務時間内に一時でも職場を離れることに罪悪感を感じたりすることもなく常に晴れ晴れとした気持ちでいられることに自由を感じることが増えました。

 ゆとりが生まれると色々なことに挑戦してみたくなるという心の活気も出てきます。以前からの趣味の復活や充実また新しい事への関心も芽生え、仕事ばかりではなく生活の中での新たな楽しみにも向きあえそうな気配がします。

4.地域や近所の人々との対話が増え交流が深まった。

 農業をして家を拠点に仕事していると、自然と地域の人と顔を合わせる機会も多くなり対話が増えます。もちろん元々の地元ですから狭い町内で顔を知っている人ばかりではあるのですが、これまでは(亡くなった父を指し)「〇〇さんちのせがれ」的な認識で見られていたのではなかったかと思います。サラリーマンをしていた頃は互いに顔を合わせた際には軽い挨拶程度でしたが、今は高齢・過疎化で生産者・住民も減っていく中で地域農業に取り組む担い手です。私自身も農業とそれを取り巻く環境や地域を意識するようになっていますし相手にしてみても、単に私が自宅から勤務先に通っていた頃とは違い、地元に根を張り毎日農作業をしている姿を見て地域全体が高齢化の課題を抱えてる中で少しの安堵感があるのかもしれません。会えば会釈だけでは終わらずに色々な人との会話が増えました。

 また、農業生産者が減る中で地域環境や農業用水利に関わる役割も受けていることもありその関係の方々とも対話や相談をすることが多くなってきています。これはまた後述する「悪かった事」とも表裏にあるわけですが農業自体のことについても意見交換することが増えました。せっかく同じ地域に住んでいる人同士ですので世代を超えて笑顔で交流できる風通しの良い関係を周りにも広げていけたら良いと思っています。

5.ストレスから解放され自然環境の中でリラックスして仕事ができる。

 サラリーマンをしていた頃は、机に座り業務に追い詰められていた瞬間に下手するとまともな呼吸も止めていたかもしれません。問題解決に頭を抱えることも多かったのでストレスが多く体に良い影響があるわけがありませんが、それでも意外とストレス診断みたいなものは悪い結果でもなく「オレはストレス耐性が高いんだよ」なんて都合の良い方に自負していました。色んな意味で病気らしい病気に罹らなかったのが今になってみると奇跡というか幸いです。

 今は仕事も自己責任ですので、見えない効力や誰かからのプレッシャーでストレスや切迫感を与えられることは無くなりました。広い空の真下でする仕事では深呼吸することを覚え、周りの大自然を眺めその中にいる自分を意識して「自分のための仕事」であり「食糧を生み出す仕事」をしています。そして普段の仕事で体を使うため運動不足とは無縁です。仕事中でもリラックス出来てると感じたり、空気が気持ち良いと感じられるのはサラリーマン時代では少なかったことです。

6.創意工夫と無駄なものの廃止によりコストの見直しに取り組めた。

 退職して時間に余裕が出来たので、保険内容の見直し携帯料金の見直しをしました。もう長い間費用を払い過ぎていると認識しつつもまとまった時間が無いため止むを得ず継続して払い続けていたものです。保険に関しては若い頃からの加入勧誘や勢いで加入したものも多く、解約や見直しも含め毎月の保険料額で4万円、携帯料金は契約プラン変更などで月額2万円ほど節約できました。達成感とともにこれほどの節約可能なはずの金額を長い間無駄に?払い続けてきたと思うとその総額を想像して溜息が出ました。対策すべきと分かっていてもずっと見直す余裕すら無かったのです。

 他にも通勤を含め日常の足にはミニバンを使用してきたものですが、脱サラしてからは農業で使用している軽トラックが愛車になりました。近くの買い物くらいなら大体の場所へは(外も中も汚いですが💧)軽トラで行きます。ミニバンとの燃費の差を考えるとこんなことでも節約に繋がっていると思います。ただうちの軽トラックはそれほど燃費が良いわけではないので最高でも12㎞/ℓくらいです。

 そして、農業を行っているうえで馬鹿にならないのが農業機械などの修繕費です。勤めていた頃は時間が無いのもあって、農機の故障・修理はともかく調子が少し悪い程度でも自分で見ることもせずすぐに農機メーカーを呼んでは多大な費用を払っていました。さらには普段のメンテナンスや正しい使用を怠ったため不測の破損が出たりと目も当てられない状況でした。コメの価格下落や資材等費用高騰により黒字とも言えず給料から機械修理費とかを持ち出す始末になっていて、農業で生活していくからにはこの改善が重要課題でした。

 今は、オイル交換やキャブレター・ベルトなどの部品交換くらいなら自分で部品を買ってきてやるようにしていますし、他にもネットの中古オークションなどで取り寄せたり大きな物は県外まで引き取りに行ったりもします。機械が長持ちするようにと定期的なメンテナンスも意識しています。作業施設に関する造作的なものがあれば部材を購入してきて自分で出来るだけ造作作業に取り組みます。これらは直接コストカット効果もあり、今まで業者任せで自分では出来なかったことに挑戦し上手くいったときには知識と経験も身に付き大きな達成感も得られます。

悪かった事 6選

  1. 経済的な不安が増えた。
  2. 時間のメリハリが難しくなった。
  3. 地域での役割や負担が増えた。
  4. 身体への負担が大きくなった。
  5. 自分に何かあったときの保障が不安になる。
  6. 自分の努力ではどうにも出来ないことが多い。
    1.経済的な不安が増えた。

     脱サラ・就農した今では定期的な収入がありません。私は稲作農家ですので基本的に売り上げは収穫の秋に集中することになります。昨今は主食用のコメ以外に需給調整に向けた水田活用米穀など、例えば加工用米であったり家畜の飼料用米などについては、制度により補助金として時期が変わった冬から春先にかけて振り込まれ収入となる部分も若干ありますが、基本的には1年をかけてコメの販売代金を生活費に取り崩していく感じです。

     サラリーマン時代が決して経済的に余裕があったわけではありませんが、当然毎月決まった給料を貰い夏と年末のボーナスを当て込んではひと時だとしても経済的休息は得られたものです。特にこの時期はボーナスの便りを聞くとやはり何となく懐が寂しくなる気持ちが顔を出てしまいます。もちろん何十年も経験してきてサラリーマンの皆さんの過酷さも身に染みて知っていますので、そのことを単純に羨ましくはなりません。どんな仕事でも対価を得るということは本当に大変なことです。

     退職後に、色々なコストを見直して無駄な出費を省けたといっても、以前からのローンや保険料や教育費など変わらずにこれからも負担し続けなければいけない固定費は変わりません。

     webや直売等を活用した農産物の販売戦略、新たな園芸農作物等の展開、半農半Xによる副業収入の拡大などへの挑戦により、自分の取り組み次第で経済的不安を解決する道は広がると思っています

    2.時間のメリハリが難しくなった。

     時間の使い方について、自由度が高まり大事なことに時間を費やせるようになった反面、時間の感覚がルーズになったような気がします。朝、朝食を終えて直ぐに仕事に立ち上がらなくても何か注意する人はいません。下手したら朝のニュースに見入ったり朝ドラを見続けてしまうこともあります。夜もだらしなく夕食後にその場でうたた寝してしまうことがあります。

     サラリーマン時代、早朝出勤~深夜残業なんてこともザラにありましたので、勤務時間はもちろんのこと出勤前も帰宅後も極端ではなく分刻みの行動を意識していたものでした。兼業は数年間でしたがそれだけ勤務と農業を両立させることはハードで、早朝5時前から田んぼで農作業をこなして少し離れた職場まで高速道路を利用して時間短縮して、それでも両方とも上手く間に合わないのです。

     確かにその頃は、とにかく「時間」が足らなかったし効率的な行動を最大限模索していた時期だったと思い出します。まあすべてに追われてとにかくこなしていかなければいけないという強迫観念に追われて感覚がマヒしていたのかもしれません。

     自分的にはとにかくヤル気で一生懸命やってると思いこんでいたのですが、退職した後に家族曰く「あれは自分で気付いてないだけで絶対に鬱病だったよ」と言われました。「そんなことはない」と抵抗はしたものの、気持ちが沈んで話が出来なくなるような事実はなかったとしても、表情や全てに切迫した行動が表れ傍から見たら完全に鬱と捉えられていたかもしれません

     いま時間と気持ちに余裕が生まれたことは良いことですが、やはり自分でルーティンを保ち短期・中期・長期とスケジュール化し本当にやりたいことを実現していかないと意味がないと思っています。自分の性格からすると、自制心が強く律していけるタイプではなく自然とはそうならないと思うので課題の一つです。

    3.地域での役割や負担が増えた。

     退職して自営になってから、地域においての役割負担が増えました。

     町内会での年功序列的に選任されくる幹部的な役については、一定程度戸数があるためまだ幸い就任していませんが、農業に関することとなると話は違います。補助金支払い対象となるような地域、農地、水・環境の保全活動に関する事務的な役目のほか、農業施設たとえば用水施設等の管理や水利事業など農業生産荷必要な作業の担い手としてしっかり役をご指名されてしまいました。そのほか農業関係団体の総代やら地元JA部会の役員など、ある程度予想は出来ていましたがサラリーマンを辞めるのを待っていたかのようにとさえ感じられます。

     少子高齢化・人口減少の波は、農村地域ではさらに加速して人手がないのです、特に農業者が。かつての集落は、農家の集合体のようなものでした。共通の生業でもある農業を媒介として住民活動も含めコミュニティが営まれて人と人の繋がりが保たれていました。季節ごとの農作業はそこに住む人の共通の関心事であり「天気の話」も社交辞令というよりも生産に関わる重大な話題でした。

     今では、農村集落と言われているようなところでさえ個々の農家は激減し、株式会社や農事組合法人(集落営農)や大規模の個人農家(担い手)などの数えるほどの経営体の数になってきています。このような情勢の中で、かつては農家である集落住民全体でお互いに理解・協力し補いあえてきた負担の役割を背負える分母人数が減りつつあります。

     農業は食の源であり、環境保全や地域コミュニティに重要なものだから今はサラリーマンになった非農家の人もみんな協力してください。地域を守りましょう。というのは正論ですし唱えていかなければいけないものとは思いますが、やはり現実問題として普段農業に全く携わっていない方にその役員を割り振ったり、勤務を休んでまで参加してもらったりというのは明らかにハードルが高くなっています。

     実際には、永久に農家だけでこの農地環境を維持していくことは困難です。今後も農業を担っていく我々が一番の覚悟を持って、課題を見据えて将来どうしていったらよいか地域全体の住民の協力も得ながら一体として考え未来策を練っていかなければならいでしょう。

     結論から言うと、農家である以上は一定の役割を覚悟して住んでいかなければいけないということです

     

    4.身体への負担が大きくなった。

     農業では、スマート農業という言葉が急速に広まり、高齢の方やまだ活用していない人でも何となくのイメージは湧くくらいにはなっているようです。ロボット技術やICTを活用した次世代型の農業ということです。具体的には身近なところでも、ドローンでのAI画像解析による農薬散布や自動操舵田植機による移植作業、水田の水口監視システムなど、実際に見たことないものでは土壌分析しながら作業できるトラクターなど、これもほんの一部です。

     農作業の省力化や労働力の軽減、将来的な生産コストの削減を見込んでの技術なのでしょうが、実際には導入コストや利用技術の向上などの課題もあり、大規模農場では積極的な取り組みも見られるものの私のように静観しか出来ていない生産者も多いのではないでしょうか。

     本題に入りますが、スマート農業が一定程度進んだとしても、個人的には農作業は身体的に大変な作業だと思っています。私は稲作農家ですので他の農作物については詳しくありませんが、稲作に限って言えば従来通りの作業を顧みると、通年の雑草刈の作業、播種後の育苗運搬、田植え後の溝切り、30㎏の資材を背負っての肥料散布、産米の出荷荷造りなど。農業用語ばかりで分かりずらいですが、標準的に機械化されていても結構きつい仕事ばかりです

     数年前から、刈り払い機による草刈りの負担で「ばね指」になってしまいました。指を曲げると手のひらの腱が引っかかって痛くて指が元に戻らないといった症状です。無理を押していたら悪化していよいよ冬の間に手術をしてもらうことになりました。また秋前に初めてギックリ腰を感じました。他人事だと思っていたのに「しまった!」と一瞬何が起こったか分からない痛みが走りました。収穫期直前に絶望感に陥ったのですがなんとこの痛みは3日後に奇跡的に治ったのです何故だかいまだに分かりません。そして重い肥料散布のせいで膝は結構弱ってきています。極め付けは冬前、前述のばね指の指をかばいながら荷造り作業を行ったせいか左肘関節を中心とした腕痛に今も悩まされているのです。今年だけで体の不調について挙げたらキリがないのですが、いつも初心に戻って言い聞かせているのが、農業機械作業による事故防止です。統計では農作業中の死亡事故が発生する確率は全産業平均の約10倍にもなるという驚きの結果も出ています。(22年の数字)

     体への負担を最小限にするためにも、落ち着いた正しい機械操作を行うためにも余裕のあるスケジュールと効率の良い作業方法を進めることが重要です。また今後は、収益性を高めつつ財政を見極めた中で取り入れられる部分があればスマート農業を活用しながら経営向上を目指したいと思います。

    5.自分に何かあったときの保障が不安になる。

     勤めていた頃、毎年人間ドックに申し込み欠かさず受診していましたが、退職以降は忙しかったのと受診料負担感が大きくて、何年ぶりかで受けたところ要精密検査の結果を貰ってしまい大腸カメラを受ける羽目に、結果的に大腸ポリープが見つかりその場で切除してもらいました。あと何年か放置していたら深刻だったかもしれません。

     経営者は、法律もありますし福利厚生の面からも最低限雇用者を守ってくれます。個人農業ではそれがありません。勤め先では、重い病気に罹っても療養のため十分休業してから体調を整え安心して職場に復帰してきた人を多く見てきました。私もその頃は、同じようになったら給料は減少したとしても少なくとも職を失う心配は要らないなと空想はしたことがあります。職場によっては見舞金制度もあるでしょう。

     自営で生活している中で、年齢もありますが、時々体を痛めてしまったり検査結果に異常が出てくるようになると、若い頃のような絶対的な体に対する自信が加速して揺らいできます。 もし自分に何かあったらという不安が逆に増えてきます。私はもうそのような年代は過ぎましたが、これが育ち盛りの子供でも抱えてたときだったら大変だなあと感じます。

     ある意味自己責任なので、ある程度必要な保障について知識を学びリスクコントロールも必要です。年齢や家族構成に応じて、生命・医療系の保障はある程度基本として、介護・休業補償の分野も安心を得るためには必要かもしれません。そのコスト負担により生計を圧迫してしまうようであると本末転倒ですが。

     そして、公的年金についても厚生年金から国民年金に変わってしまうケースが大半となるでしょう。場合によっては会社員以上に苦労し長時間働いても将来の予定収入には比例して反映されません。この不安への対策にもやはり自助努力が必要となります。保険会社の個人年金や積立NISAなど小額からでも取り組めるものがあるのでファイナンシャルプランについても関心を高めたいと思います。

    6.自分の努力ではどうにも出来ないことが多い。

     震災や台風・大雨・洪水などの自然災害により大切な人命や財産が失われるつらい事態が後を絶ちません。農業生産地においても、いつ何時に被害に見舞われる可能性が有ります。そして、気候変動・温暖化などの不安要素も増加しており、天候によっては今まで通りの方法では出荷できる農産物に育たないことが現実的に増えてきています。近年の気候が果樹栽培等に与える影響も深刻と見受けられます。

     詳しくはコメだけの話しかできませんが、とにかく近年は夏場の気温が高い年が多く、高温障害による産米検査時における等級の格落ち収量の激減など地方単位で打撃を受けることが多くなりました。行政や地元JAなどの指導もあり農家も土づくりや水管理や施肥対応など出来ることは取り組んでいるつもりなのですが異常気象がその斜め上を行く年さえあります。 

     当たり前だと思って作っていた農産物が作れなくなる可能性もあるのです。農業は、自然相手です。生産者の努力が必ず成功をもたらす保証がなく、人の力ではどうにもならない非情な結果をもたらすことだってあるという覚悟は必要です。

     また収入面で見ると、育てた作物を直接販売したり、ネットで売ったりと販売形態により全てとは言えませんが、コメの価格は需給関係に左右され、流通の仕組みも相まって生産に費やしたコストが販売価格に転嫁されるという仕組みが出来上がっていません。ここ何年もの間に不安定な世界情勢を端として30~50%も資材が高騰しましたが、今年の米価上昇により初めて再生産(持続)可能な状況になるかと期待できるようになったレベルです

     品種改良や栽培技術の革新に期待しつつ、また生産コストが適正価格の形成に結びつくような農業政策の在り方を求め、いろいろな技術や制度について情報収集に努めながら自分なりのリスク管理を図る必要があります。

    まとめ

     上記のように、サラリーマン時代には組織ファーストな生活をしていたものが、今は自分基準の生き方を再発見できている途中のように感じています。ただそれは自己中というこではありません。本当に大切なものは何なのかということを問いただす余裕の時間とゆとりある心を得られたことが最大の収穫のように現時点では思っています。

     サラリーマンを辞め、農業を行っていて一番思うのが、全て自己責任になってしまったんだなということです。ある意味一匹オオカミです。今まではいろんな有益な情報は会社が与えてくれ保障的にも何かあったら最低限は守ってくれたはずです。

     今は仕事のことについても、生活や保障のことについても自分で情報を拾いに行き自分の判断で決めなければなりません。

     

     自由になった心で、今までゆっくり考えることの出来なかった物事をもっと俯瞰的に捉え、出来ればこの地域が少しでも良くなるよう、減退していくと言われている農業の持続に挑戦しながらplus面白いことに取り組んでいきたいと思います。

    by KOH

     

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